逗子開成創立120周年記念式典

逗子開成中学校・高等学校は4月18日に創立120年を迎えました。1903年(明治36年)に東京の開成中学校の分校として開校されたのです。当時は田越村で、人口も6千人程度。海の近くの小さな村だったことでしょう。7年後に七里ヶ浜でのボート転覆事故がありました。1月23日の真冬の海で生徒12名が亡くなり、それは「真白き富士の嶺」の歌となり引き継がれています。

 その後現在の逗子開成に大きく変わったのは卒業生だった徳間康快氏(徳間書店創設者)が理事長になってからでした。中高一貫校をつくり、国際教育・コンピューター教育・海洋教育等を打ち出し、現在の逗子開成の目覚ましい発展へと展開していきました。

 逗子市内にこのように神奈川県内でも注目される教育機関があるということは、町の誇りにもなることであります。また学業のほかに、地域のボランティア活動に力を入れており、行政の側でも大変強力にサポートして頂いております。披露山公園の広い敷地の草刈りの一斉清掃などは、高校生の力を借りないとできないくらいです。他にも市内イベントでは、和太鼓部が演奏して盛り上げてくれ、また田越川の清掃でも参加してもらうなど、活動には頭が下がります。

 開成の生徒の団結力の源は、次のように考えます。開成では海洋教育が目玉ですが、それには二つの恒例行事があります。一つは開成中学の「遠泳大会」です。中3に逗子湾で1.5キロの遠泳をやるのです。泳げる子は問題ないですが、泳ぎが得意でない子は入学時からプールで特訓が始まります。それで仲間と一緒に泳ぎ切るのです。仲間の連帯感を感じる行事です。二つ目は、高校で行われる「ヨットの訓練」です。OPと言われる一人乗りのヨットの訓練ですが、海を活用した教育は開成ならではです。こうした行事からも生徒が団結を強くし、一体感を生むのだろうと思います。

「教育は国家百年の大計」でもあり、逗子の学校が教育の面でも牽引してくれることは町の魅力をつくる上でも嬉しいところです。

この記事を書いた人

kirigaya

桐ケ谷覚(きりがやさとる)
第9代 神奈川県逗子市長
10年後、20年後、30年後も未来への希望のある逗子へ!